いさおの偉人外伝 #9

「紫式部」

歴史上の偉人が素晴らしい業績を残した裏には、別の隠れた一面があります。それを紹介する「偉人外伝」。

第9回目は、平安時代中期の女流作家「紫式部」を取り上げます。

 

光源氏が宮廷で多くの女性と恋をする、古典文学最高峰で、世界最古の小説「源氏物語」の作者として余りにも有名な紫式部。

さてその紫式部ご本人、夜の営みはいったいどうだったのでしょうか?

 

978年ころ(あくまでも通説)生まれ。出身は不明。京都で亡くなる。

父は漢学者の「藤原為時(ふじわらのためとき)」で、母は紫式部がまだ幼い時に他界。

父、為時が男手一つで紫式部を育て漢学や和歌を教える。若いころのエピソードとして、勉強熱心だったため、父から「お前が男だったら良かったのに」と言われるほど才媛だった。

紫式部が結婚したのは、27歳のころで、当時としてはかなり晩婚、相手は遠縁にあたる「藤原宣孝(ふじわらののぶたか)」で、紫式部とは20歳離れている47歳。二人の間に女の子が一人生まれたが、この宣孝がかなりの曲者で、プレーボーイとして知られており、3人の妻がおり、さらに多くの愛人がいたそうです。

二人の生活は上手くいかず、宣孝は、紫式部から貰った手紙を他の愛人に見せびらかしたりしたそうです。もちろん痴話喧嘩になったのですが、そのことはのちの「紫式部日記」にも記されています。

そんな宣孝が紫式部と結婚したのは、普通の女性と違うところを面白がってのことだそうです。

藤原宣孝は結婚二年後に流行り病で、あっけなくこの世を去ってしまいました。

短い結婚生活でした。

 

『それではなぜ紫式部は、源氏物語のようなエロチシズムな作品を生むことができたのでしょうか?』

 

実は、ハネムーン時代、二人はかなりお盛んな夜の営みがあったという説があり、源氏物語の浮舟の巻で、男女交わる様子を絵に描いて見せるというシーンがあるのですが、実体験がないと書けないような具体的な描写で、二人は「夜の営みを工夫していたのではないか?」ということです。

紫式部は、藤原宣孝亡き後、執筆に没頭し、源氏物語を完成させました。

 

【まとめ】

本当は、紫式部は宣孝に「一途」だったのではないでしょうか?

夫亡き後、寂しさまぎれに、執筆に明け暮れたのではないかと考えてしまいます。死別が筆を走らせるパワーになったと・・・

皆さんはいかがお考えでしょうか?

そんな紫式部と奇しくも同じ時代に生きた「清少納言」とは犬猿の仲だったそうです。

次回は清少納言について取り上げる予定です。

お楽しみに。

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天津 弥

八木さんと同じ M&M エージェンシー所属 劇団福井自由舞台で役者もやってます。

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